会津鉄道快速列車で会津若松へ
会津田島を観光し、快速AIZUマウントエクスプレスで会津若松へ向かう。
民家もまばらになっていき、どんどん山深くなっているのが分かる。
乗車した快速列車はリクライニング出来るシートで、乗車券だけで乗車できるのに豪華だった。
ついに車窓から民家が消え、快速列車の愛称「AIZUマウントエクスプレス」という名の通り、山の中を走っていく。なんと安直な名前・・・。
列車は減速し、車窓から大きな橋が見える。
車掌のアナウンスがあり、大川湖面橋というダム湖に掛かる橋らしい。
列車と各名所を減速して、車掌がアナウンスしていくという仕様のようだ。
列車は川沿いから、平地の中を走っていく。
会津若松に近づくにつれ、雪の量が減っている気がする。
しばらく走ると、車窓が田園風景から住宅街に移り変わっていく。
住宅街を走り抜け、会津若松に到着。
会津田島と同じくらい積もってるのかと思ったら、全く積雪が無かった。
8年前にどれくらい豪雪か確かめるために会津若松に向かったのは間違いだったようだ。
さてどこに向かおうか。
しかし、駅から会津若松のどの観光地もバスで行けない場所にあるためバスの時間次第。
田舎なので丁度時間のバスは無いだろうと思ってバス停に行ってみると、あと5分後に発車するバスがあったので、それに乗車して一番近い飯盛山に向かった。
飯盛山下バス停に到着。
飯盛山へ向かう。
飯盛山見学
飯盛山の入り口に到着。
飯盛山なんて小学校の修学旅行以来だな。
こんな感じの所だっただろうか・・・?15年以上前の事なので記憶があやふやだ。
平日の所為かシャッター街と化した土産物売り場を通り過ぎると山へ登る階段と有料のエスカレーターが。
エスカレーターの切符売り場から「山の上まで登るのは大変ですので是非ともエスカレーターをご利用くださいと」という誘惑アナウンスがあった。
しかし、俺からしたら群馬の土合駅の長い階段を1往復半し、
京都の鞍馬寺から貴船神社まで山道を登って行った身としては、こんな階段ごとき造作もないわ!!
山頂に到着。
なんだかんだ息が上がってしまった。
飯盛山には、白虎隊という江戸末期の戊辰戦争の際にこの山で自決した少年兵の墓がある。
少年兵と言っても16歳から17歳なので江戸時代なら成人扱いだろうけど・・・。
白虎隊自刃の地という、白虎隊が自決した場所があるようなので向かってみると、真下に墓地が広がっている・・・。すごく・・・普通の墓地です・・・。
白虎隊の墓だろうかと思ったが、墓石に平成○○年と彫られていて本当に普通の墓地のようだ。
何故、白虎隊が自害した所にわざわざ共同墓地を作ったのだろうか・・・?
ここが白虎隊が自決した所らしいが周りには普通の墓石が並んでいる。
この石像が向いているのが鶴ヶ城という事だが・・・
鶴ヶ城が全く見受けられないのですが・・・
白虎隊は、ここから鶴ヶ城が燃えていると勘違いして自決したようだが、そもそも鶴ヶ城がある方向すら勘違いしていたのではないだろうか・・・。
ちなみに、鶴ヶ城はこんな城なので探してみてください。
来た道を戻り、観光の順路通りに道を歩いていると螺旋状の変な建物が。
さざえ堂という仏堂らしく、中は二重螺旋構造になってるらしい。
江戸時代からあるようだが、小学校の修学旅行の時にこんな変な建物あった記憶がない・・・。
金さえ払えば建物中に入れるようなので、400円を払い中へ・・・。
中はこんな螺旋状になっており、歴史的建造物では珍しく土足OKである。
なんか夢の中に出てきそうな雰囲気だな。
建物中心はこんな感じで反対側の通路に通じている。
こんな狭い通路通れなくね?
頂上に到着。
ちなみに奥に行くと下りの通路に通じている。
天井にはびっしりと札が貼ってある。
こんな感じで参拝する所があるが、奥に江戸時代チックな絵画が飾ってあって、言っては何だけど気味が悪いな。
下りの通路を下り出口に向かう。
ちなみに二重螺旋になっているので上ってくる人とは一切すれ違うことがない。
よく江戸時代にこんな建物造ったな。
それにしても札がいっぱい貼ってあるが何故なんだろうか・・・?
出口に到着。
出口には落書き禁止の張り紙が。
国の重要文化財に落書きする不届き物が居る様だ。
ここに落書きしやがった、赤城と小沼は今すぐ飯盛山に行って自決し、相合傘描いてる糞カップルは寝取られて破局すべし!
さざえ堂を後にし、坂を下ると神社が。
神社の近くには小川が流れており、
この洞窟から湧き出ているようだ。
厳密には、戸ノ口堰洞穴という人口に掘られた洞窟で猪苗代湖に続く用水路に繋がってるらしい。
先程の洞窟の近くの拝殿(巌島神社)の横で小便してる罰当たりなジジイがいた。
拝殿に向かってた俺と目が合い「あ、やべぇ、バレた」みたいな顔してとても滑稽だった。
EDかクラミジアにでも侵されるがいい。
飯盛山を後にし、バス停に向かう。
バス停で時刻を確認すると次のバスは16時16分発。
現在時刻は15時50分。
仙台に向かう為、郡山行きの列車に乗る予定だが、発車時刻は16時21分。
これじゃあ到底間に合わない。17時10分発まで待つか?
いや、グーグル先生に問い合わせると現在地から会津若松駅まで徒歩23分で行けるようなので仕方なく歩いていくことにした。
ひたすらバス停があった道をまっすぐ歩いていくと、やっと会津若松駅に到着。
ああ、疲れた。
駅舎に入り、スマホで時刻を確認すると16時18分。
徒歩23分程度とグーグル先生に教えられたのに、実際は30分以上掛かってしまいグーグル先生に裏切られた所存です。
急いで郡山行きの列車に乗り込む。
先に切符を購入しておいて良かった。
磐越西線で郡山へ
電車に乗り込むとすぐに列車は発車した。
列車は会津若松を出発して10分くらいすると、雪の中を走るようになった。
会津若松だけ雪積もってないのは何故だろうか・・・。
翁島駅に到着。
雪の量が半端ない。
駅の標識が半分埋まってしまっている。
列車は積雪の平原の中を走行していく。それにしても単調な・・・。
猪苗代駅に到着。
ここでも駅標識が半分埋まっているが、名所案内に至っては3分の2が埋まってしまっている。
「てめえ等に巡らせる名所はねえ!!」byJR東日本
って事かな?
列車は猪苗代駅を過ぎても単調な景色が続く。
列車はしばらく走ると山岳地帯に突入し、信号所で下り列車の位置違い待ち行うために停車した。
こんなホームもない雪山に停車すると、なんか列車ごと雪山に取り残された気分になるのは何故だろうか?
雪山をしばらく走行していくと廃線跡が見える。
中山宿駅という駅で、1997年まではスイッチバックの駅だったようだ。
こういう怪しい駅は見学したくなるな。群馬の土合駅みたいに・・・。
磐梯熱海駅に到着。
ここまで来ると積雪が無くなる。
しばらくすると、車窓からは住宅街が広がり、郡山駅周辺のビル群が見えてくるようになる。
郡山駅に到着。
後は新幹線で仙台に向かうだけ。
流石にここから在来線で約2時間半掛けて仙台に向かったら尻の肉が取れる夢を見てしまうので新幹線だ・・・。
東北新幹線で仙台へ
新幹線に乗り換え仙台に向かう。
新幹線では、疲れの所為か熟睡していて気付いたら仙台に到着するアナウンスが流れていた。
仙台に到着。
やっと仙台に着いたあああ!!
時刻は18時半。北千住を出発したのが朝の6時なので12時間も掛かった。
自宅からだとなんだかんだ13時間くらいか。
いつも帰省の際は新幹線で、自宅から2時間ちょいくらいでついてしまうのでそんなに遠いとも思っていなかったが、流石に13時間も掛かると本当は遠いんだなっと思ってしまう。
あとは在来線に乗り換え、実家の最寄駅を目指し旅は終了。
本来なら東京から仙台へは2時間程度で行けるのに、13時間も掛かるし、新幹線で行くよりも交通費が高上りというドM向けルートだった。しかし、会津田島という知らない街を観光出来たり、会津若松という何回かは行ったことはあるが新発見もあったりとなんだかんだ充実した帰省だった。
東武伊勢崎線の快速は4月21日で廃止されてしまう。しかし、廃止まで半月以上あるので、皆さんも(特に東武伊勢崎線・浅草駅乗り換え・北千住駅乗り換えの社畜ユーザーの方は是非とも、リフレッシュをしに会社をサボって会津田島へ行ってみては如何だろうか?
おわり。